道の交わるところ3




3.

一番人手が足りなかったのは厨房だったので、必然的にエイトは調理の手伝いをすることが多くなった。王族と重臣の分だけは料理長自らが作るのだが、その他城で働く全ての者の食事を賄うのである、一回に使う食材だけでも大変な量だった。葉物野菜は洗って刻み、豆は煮込み、芋は洗って皮を剥く。石釜に焼べる薪も、調理に使う水も、全部水場なり薪置き場から運んでこなければならない。パンやパスタを作るのも小麦を挽くところから始まる。それらを手際よくこなさなければならないのだ。その苦労は並大抵のものではない。人手は必要だが、同時に気の利く者でないと勤まらない。
そんな厨房でのエイトの仕事は専ら芋の皮剥きだった。火を扱う仕事は子供には危険だったし、パン作りはコツが要る。簡単だが手間の掛かる芋の皮向きがうってつけなのであった。
厨房での作業が一段落着くと今度は城内の清掃だった。兵舎とその近傍は出入りが激しいので毎日よく拭き掃除する必要がある。綺麗に拭いた直後に兵士が戻ってきて泥だらけの長靴で足跡を付けられて泣くに泣けない時もあった。
リネン係のメイドに従って行って、部屋の家具類に艶拭きをかける仕事もあった。王族の部屋の調度には一々細かな彫刻が施されているので、エイトのような子供の手が重宝されていた。足りなくなったリネンを取りに行ったり、汚れた布巾を片付けたりと忙しくはあったが、エイトはこの仕事が割合気に入っていた。普段入ることのできない場所へ入ることができるからである。勿論部屋の主と顔を合わせることはない。彼ら、彼女らが部屋にいない時間を見計らってリネンの交換と清掃が行われるからである。それでも持ち主の使う豪華な調度を見るのは楽しかった。どんな人なのかと思いを馳せながら。


その日は月に一度の客用寝室の清掃日だった。客人が来なければ使われないこの部屋だったが、閉め切ってばかりでは内装も調度も傷んでしまう。時々風を入れる必要があった。
「あら」
でも今朝は様子が違っていたようだ。リネン係のメイドが首を傾げる。
「誰か入ったのかしら」
言われてエイトも不思議そうな顔になった。長い間人の入らない部屋というものは埃っぽい、乾いた臭いがするものである。なのにその部屋の空気はちょっと湿っぽかった。
「まあいいわ。エイト、窓を開けるから手伝ってちょうだい」
「はい」
そう答えてエイトは早速部屋の掃除を始めた。
重いカーテンを端に寄せ、窓を開くと新しい空気が部屋に入り込む。人のほとんど入らない部屋なので埃はあまりないが、それでも家具の彫刻には汚れが溜っているし、寝台の天蓋を支える銀の柱は曇ってきている。どれもこれも細かな細工のため掃除には手間が掛かった。
掃除はあらかた終わり、最後の仕上げに磨き込もうとエイトは箪笥の金具に手を掛けた。が、その途端把手が外れ、ころころと転がって寝台の下に入り込んでしまった。
「あら、取れてしまったの?困ったわね、まだまだ仕事は沢山あるのに」
「すみません」
メイドの言葉にエイトは項垂れた。
「取れてしまったものは仕方ないわ。私は先に行っているから、元通り戻しておいて」
やれやれ、といった風に言うと、メイドはいそいそと部屋を出て行った。
エイトは足覆いを跳ね上げて寝台の下に潜り込み、把手を探り出した。幸い、ネジが弛んでいただけのようである。早速取り付けようと箪笥の扉を開いた。が、その途端喉の奥で「ひっ」と息の音だけをさせて固まってしまった。空っぽの筈の箪笥の中には何か白い、小さな人の形をしたものが蹲っていたのである。あまつさえその白い人影─女の子のようだった─は不意に明るくなったことに気付いてこちらを振り返った。─―目が合った。
「あっ」
エイトはそれが誰であるか知っていた。直接会った訳ではないが。
「子供がいる!」
何とこの状況と懸け離れたことを言うんだ、それに自分だって子供じゃないか、とエイトは思った。賢明にも口には出さなかったが。
「この城に子供がいたなんて。あなたのお名前はなあに?」
「え、エイトです」
呆気に取られつつも何とか答える。答えた後でそれが礼に適ったものかどうか不安になった。
「エイトっていうのね。あた…わたしはミーティアよ。いつからここにいるの?」
少女はあっけらかんと名乗り、矢継ぎ早に質問を投げかけてくる。が、幸いエイトにも答えられる内容だった。
「いっ、一ヶ月ぐらい前から…です」
「まあ、全然知らなかったわ…」
そう言いながらミーティア姫は箪笥から出てきた。
「あの、どうしてそこ…そちらに」
混乱しつつもこれだけは聞いておかないと、とエイトは思った。箪笥から人が出てくるなんて普通なら考えられない、それもこの城の王女様が。
「あのね、」
と姫は急に俯いてしまった。
「今朝起きたら歯がぐらぐらしていたの。でもそんなことお話ししたら抜かれてしまうでしょ?それで黙っていたのだけれど、朝食の時にお父様に知られてしまったの。それでやっぱり抜くことになってしまって。怖いから隠れていたの」
エイトは「ふうん」とも「はい」ともつかない、変な鼻音を立てた。こんな時にどのように相槌を打てばいいのか分からなかったのである。
「エイトは歯を抜かれたことある?」
いきなりミーティア姫が質問してきた。
「んーっと、あの、あるような、ないような…」
「えっ、どういうこと?」
「あの、歯を抜いたんじゃなくて、歯が抜けたんです。ぐらぐらしている歯を舌でちょんちょんって突いてやると」
「もご」
思い出し思い出し語るエイトの言葉を早速実践しているようだ。姫の頬の辺りが膨らんでいる。
「痛くないくらいで動かしていたら勝手に抜けたんです」
「…………あっ、抜けたわ!」
と、口の中から歯をつまみ出した。
「全然痛くなかったわ。どうもありがとう。エイトは何でも知っているのね」
「いえ、あの…」
エイトはもごもごと口籠った。照れくさいのもあったのだが、それ以上に記憶が無いことを話した方がいいのか迷ったのである。だが目の前の姫が興味津々でこちらを見ている。仕方なく話すことにした。
「僕、何も覚えていないんです。家のこととか、そういうの全部」
「まあ、でも痛くない歯の抜き方は知っていたわ」
「そういうことは知っているんです。でも…」
と、言いかけた時、背後から声が掛かった。
「エイト、終わったの?……まあ、姫様!どうしてこのような場所に?」
メイドが戻ってきたのである。開いたままの戸口からこちらの様子を唖然とした様子で見ている。
「あのね、今エイトとおともだちになっていたところなのよ」
天真爛漫にそんなことを言う姫にメイドは頭を抱えた。
「そんな…ああ、このことが王様に知れたら私は一体…」
「あら、お父様は別に何も仰らないと思うわ。それよりエイト、ミーティアのお部屋に来て。さっきのお話の続きが聞きたいわ」
「あの…、まだ仕事がありますし…」
しどろもどろになりながら、エイトは答えた。何だかあまりよくない風向きになってきたのを感じながら。
「そうなの…」
がっかりしたような声を出して姫は俯いてしまった。その様子に慌てて、
「あの、昼食の後片付けが終わったら少し時間が…」
と付け加えると(メイドは恨めし気にエイトを見ていた)、ぱっと嬉しそうな顔になった。
「じゃあ一緒にお茶を飲みましょ」
姫の横でメイドが控え目に声を掛ける。
「姫様、どうかお戻りに…」
「ええ、戻るわ。じゃ、エイト、お昼過ぎにミーティアのお部屋に来てね。約束よ」
そう言うと楽し気な足取りで部屋を出て行った。
「…あのう、よかったんでしょうか」
姫が出て行った後、エイトは怖ず怖ずと口を開いた。果たして今のことはよかったのか、それともメイドの様子から窺う限り、行かない方がいいのかと思いながら。
「…まあ、仕方ないでしょう。約束ならこちらから破る訳にはいかないし」
はあ、と溜息を吐きながらメイドは言った。
「さっさと後片付けを済ませるしかないわ。汚れていない服を着て伺うのよ」

           ※          ※          ※

言い付けられた通り、昼過ぎにエイトは城の三階にあるミーティア姫の部屋に向かった。汚れていない服に着替えた筈なのだが、どうにも落ち着かない。それもその筈、この区域は王族の居住区であって廊下と言えど絹製の絨毯が敷き詰められ豪華な雰囲気が漂っている。掃除の時ならいざ知らず、これから姫の部屋を訪問するには使用人の自分がいかにそぐわないかということを思い知らされた。
絨毯を汚さないように端を歩き、ミーティア姫の部屋の前に着いた。部屋の扉の前では近衛兵が立ち、警護している。
「あのう、恐れ入ります。エイトと申しますが、姫様は…」
びくびくしながら呼び掛けると、兵士は振り返り、足元の子供を見た。
「ああ、今日の午後ここに来ることになってた子だね。姫様がお待ちになっていらっしゃるよ」
意外に気安く話し掛けられ、ほっとしながらエイトは扉を開けた。
「エイト!」
部屋に入るなりミーティア姫が小走りに寄ってきた。
「待っていたのよ。一緒にお茶を飲みましょう」
「お、お邪魔いたします」
掃除で入るなら何ということもないが、因りによってお客として入らなければならないとは。
しかしもじもじしていても埒が開かない。エイトは覚悟を決めて足を踏み入れた。
部屋の真ん中には大きなピアノが置かれていて、それを避けるように小さなテーブルとソファが用意されている。その上には砂糖で覆われた焼き菓子とクリームを添えたシフォンケーキ、チーズと赤いつぶつぶしたもの(エイトは初めて見たので知らなかったが、イクラであった)が乗った小さなクラッカーまである。紅茶のポットにはふわふわした覆いが被せられ、身に過ぎる程立派なお茶会だった。
どうしよう、とエイトが身を竦ませていると、
「こっちよ」
とミーティア姫が手を引く。
「ここに座るの」
案内された先はそのテーブルの真ん前、ふかふかのソファだった。姫はただ、にこにこしてこちらを見ている。こうなったら仕方ない、とエイトはそのソファの端に座った。もう何回覚悟を決めたのか分からなくなりながら。
「ではエイト殿、ただ今お茶をお煎れいたしますわ」
姫は急に畏まった口調になり、ポットの覆いを取ろうとした。
「あっ、僕がいたします」
慌ててエイトは言ったが、
「いいの。一度こうやってお客様をおもてなししてみたかったの」
と姫は危なっかしい手付きながらも何とか紅茶碗に茶を注いだ。
「はい、お茶をどうぞ」
さりげなくエイトにお茶を渡すミーティア姫だったが、本当は緊張していたのだろう。紅茶碗と銀の匙がカチカチと音を立てた。
「ありがとうございます」
受け取った茶碗は意外に重い。それにエイトも緊張していたので、手の内でますますカチカチと鳴った。
「…重かったらテーブルの上に置いてね」
と姫はエイトの隣に座った。
「は、はい」
「本当はミーティアも重いの」
「そうなんですか?」
姫はこっくりと頷いた。
「でも先生はね、『お茶碗とお皿を別にしてはいけません。いつもお皿は左手で持っていらしてくださいませ』ってきびしく言うの。だからいっしょうけんめい持っているのだけれど」
そこで何か思い付いたのか、にっこりと笑う。
「でも先生はいらっしゃらないし、おともだちと二人きりなのよね。お作法きちんとしなくてもいい?」
「あ、はい、姫様」
「ミーティアって呼んで。だって、おともだちでしょ」
堅苦しく答えるエイトに、顔を覗き込むようにして言う。
「……」
エイトは先程厨房で、
「ちゃんと姫様とお呼びするように」
「きちんとした言葉遣いをするように」
「姫様のお言い付け通りにするように」
と厳しく言われたことを思い出した。が、姫は
「ミーティアと呼んで」
と言っている。どうすればいいのかエイトは困ってしまい、ただ俯いてしまった。
「それでね、さっきのお話の続き、聞かせて。エイトはどうやってここに来たの?」
「…はい。あの…」
話題が変わったことにほっとして、エイトはここに来るまでの出来事を話した。いつもはその話をすることが嫌だったのだが、今日は不思議にそうは感じない。話を聞く者はたいてい哀れむような眼差しをこちらに向けてくるのだが、それがエイトには堪らなく嫌だった。でも姫はただ興味深そうにこちらの話を聞いているだけである。何か面白い冒険潭でも聞いているかのようなので、話す側としても気楽だった。
「トーポってネズミなの?とってもかしこいのね」
話の途中何度も出て来たトーポにミーティア姫は興味を示した。
「助けてくださった方から聞いたんですが、僕の頚回りを暖めてくれてたんだそうです」
「まあ、すごいわ。ミーティアも見てみたいわ。今は一緒ではないの?」
「えっ、でも、ネズミですよ」
姫の反応にエイトは驚いた。普通の人はネズミを見ると驚いたり怖がったりするものである。掃除で城内を回っている時にネズミが出るとたいていメイドが怯えてエイトが追い払うことになるのだった。そういう周りの人々のネズミに対する反応を見ていると、「大人にとってネズミは嫌われる者なのだ」と悟るには十分だった。なのにこの姫は。
「だってエイトのおともだちでしょう?きっとかわいいに違いないわ」
実はミーティア姫は現実のネズミを見たことがなかったのである。部屋にネズミが出てメイドが騒いだこともなかったし、嫌なものであるという認識はなかった。ただ単に生き物を間近で見たことがなかったので見てみたいと思ったのである。
「はい、じゃあ。……トーポ、おとなしくしておいでよ」
小声で注意しながら、ポケットからトーポを出して自分の掌の上に乗せた。エイトの言葉が分かったのかトーポはおとなしく掌の上で姫の方を見ている。
「まあ、かわいい。ね、なでてみてもいいかしら?」
姫はとても嬉しそうだった。眼をきらきらさせてエイトを見上げる。
「えと、あの、…はい。トーポ、じっとしてるんだよ」
トーポが嫌がって逃げたり、噛み付こうとしたらどうしようと思ったのだが、そんな眼で見られては逆らえない。尻尾の辺りをさり気なく押さえて姫の方に差し出した。
姫もまた、恐る恐る人指し指で毛並みに沿って頭を撫でてやる。すると、トーポは気持ちよさ気に「チュ」と鳴いた。
「本当にかわいいわ。こんな生き物がいたなんて」
「大事なともだちなんです」
エイトの言葉に不思議な響きが混じったことに姫は気付いた。このネズミは単に可愛らしいだけでなくエイトにとってとても大切な存在であるのだ、と。そして同時に、
「エイトにとって大切なものなら、自分にとっても大切なものなのだ」
と急に悟ったのである。
「トーポがなつくなんて」
エイトは驚いたように言った。いつもは他の人が触ろうものならぱっとポケットの中に隠れてしまうのである。
「うれしいわ、なついてくれて。クッキーをあげたら食べるかしら」
「あの、チーズが一番好きなんです」
でも何だかとても嬉しかった。自分の大切にしているネズミが姫に懐いてくれて。
「そうなの?じゃあ、ミーティアたちと一緒にお茶を飲みましょ、トーポ」
「チュ」

           ※          ※          ※

「姫や、今日はとても顔色がよいし、ご機嫌のようじゃの」
正餐の時、トロデ王は娘と顔を合わせて驚いた。普段のミーティア姫は穏やかに淑やかに微笑むばかりで頬に赤みが挿すこともないのに、今日は桜色の頬に溢れんばかりの笑みを湛えている。
「ええ。とってもいいことがあったの」
余程いいことがあったのだろうと王は思い、嬉しくなった。娘の喜ぶ顔を見るということは父親としての喜びだったのである。
「何があったのじゃ?お父様にも聞かせてくれるかの?」
新しい曲が弾けるようになったのか、楽しい本を読んだのか、できるなら今後も継続できるようにしてやりたいと思った。が、姫は思いがけないことを言ったのである。
「あのね、今日ミーティアにおともだちができたのよ」
「なぬっ?!」
驚いた王は持っていたフォークを落としてしまった。
「お父様、おぎょうぎが悪くってよ」
「おお、すまんすまん」
替えのフォークを貰いながらませた口調の娘に詫びる。
「それで、何じゃ、その、友達ができた、とな?」
「ええ、色んなお話をして、とっても楽しかったの。あんなにたくさんおしゃべりしたの、初めてよ。おともだちができて、とってもうれしいわ」
話をした?と王はますます難しい顔になった。最初は人形か何かを友達に見立てているものとばかり思っていたのだが、どうも違うようだ。だが城には今、姫と同じ年頃の子供はいない筈である。廷臣たちの子供は皆、姫より大きいか生まれたばかりであった。
「この城に子供はおったかのう」
疑問をそのまま口にした王に姫はあっさり答えた。
「あら、いるのよ。エイトっていう男の子。ミーティアと同い年なんですって。お誕生日が分からないって言うから、じゃあ今日をお誕生日にしましょ、って二人でお誕生日のパーティーをしたの」
王は内心頭を抱え込んだ。エイトの存在をすっかり失念していたのである。保護した者として身の振り方は気に掛けていたし、この城で働くことに最終的な裁可を出したのは王自身であった。色々報告を聞いており悪い子ではないと思ったが、それにしても姫が貴族でもない子供、それも使用人の子と友達になるとは。
だがそれを言えばどうなるのだろう。姫はただ無邪気な眼をしてこちらを見ている。
「…そうか」
その顔を曇らせるには忍びない。今だけ、今だけは許してやろう、その子を。
「そうじゃな。じゃが姫や、姫はこの城の王女であることを忘れてはいかんぞ」
親心からつい一言付け加える。
「はい」
ミーティア姫は一瞬怪訝そうな顔をしたが素直に頷いた。
「それで、どんな話をしたのじゃ」
その代わり何があったのか逐一聞くことにしよう、と王は決心した。何か問題があっては困るのだから。
「あのね、エイトはね、……」
そう言った事情も知らず、姫はエイトの話を王に聞かせた。
(特に問題な点はなさそうじゃな)
姫の話を聞きつつ心の奥でほっと溜息を吐いた。この分なら許容範囲かもしれない、と話を聞き続ける。それにより王は図らずもエイトの身の上を詳しく知ることになったのだった。

           ※          ※          ※

次の日の午後、いつもより多かった片付け物にぐったりしていたエイトは、不意にパン職人のおばさんから呼ばれて跳び上がった。
「エイト!」
「はいっ、何でしょう」
慌てて振り返るとおばさんが手招きしている。
「あの」
「お客様がお見えになっておられるよ」
お客様?と怪訝な顔をしたが、そのおばさんの膨らんだスカートの後ろからひょい、と覘いた人影が全てを解決した。
「こんにちは、エイト」
「姫様!どっ、どうしてこんなところに」
「ミーティアたちのお食事はここで作られているのね。いつもありがとう」
「いえ、そんな勿体無い…姫様のお言葉が私どもの励みになるでしょう」
呆気にとられるエイトを後目におばさんとミーティア姫はのんびり会話している。
「エイトをちょっとお借りしたいのだけれど、いいかしら」
「ええ、勿論ですとも」
話は勝手に進んでいる。
「あの、でも、僕」
異議を唱えようとしたエイトをおばさんは一睨みで黙らせ、
「行っておいで。でもちゃんと姫様、とお呼びするんだよ」
と小声で付け加えて姫の方へ押し遣った。
「行きましょ」
と歩き出した姫に従って厨房を出てからエイトは姫に声を掛けた。
「あの…どうして…」
もじもじとしているエイトにミーティア姫は笑いかけた。
「昨日はとっても楽しかったわ。エイトは?」
「僕は…」
ふとエイトの頬が緩んだ。
「うん…はい、とても楽しかったです」
ずっと忘れていた、幸せな感覚。声をあげて笑うこと。自分を受け入れてくれること。些細なことだがエイトはそれを欲していた。自分が何を望んでいるのか分からぬままに。
ミーティア姫と一緒ならばそれが得られる。と、言葉にできないままにエイトは姫に笑顔を向けた。
ミーティア姫もそれは同じだった。王女として蝶よ花よと慈しまれ大切にかしずかれていても、意識しないままに何かが欠落していた。それがエイトと出会い会話するうちにその部分が何かで埋められていくのを感じたのである。
「今日は何しましょう」
「あの、今朝水場で大きなでんでん虫を見たんです」
「でんでん虫?かたつむりよね?見たことないわ。どんな生き物なの?」
「貝がらがぐるぐるうず巻いていて……」
二人は楽しく話しながら廊下を並んで歩いて行くのだった。互いに子供の会話ができる楽しさを感じながら。

                                              (終)



2005.2.2 初出 2006.9.9 改定









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