星の翳り





その夜遅く、エイトは疲れ切った顔で戻ってきた。
「エイト」
ゼシカやヤンガスはもう休んでいる。辺りを憚って小声で呼びかけるとちょっと立ち止まったが、すぐ通り過ぎようとした。
「おい、どうだったんだ」
「…どうにも」
素っ気無く答えると、隅の寝床の方へ足を向ける。
「ちょっと待てよ」
事の顛末を聞かないことにはこちらも収まりが悪い。二の腕を掴むと呆れたように溜息を吐かれたが、渋々オレの向かいに座った。
「どうだったんだ?指輪は見せたんだろ?」
「ああ、見せた」
そう言って肩を竦めると、吐き出すように続けた。
「…駄目だってさ。今更王位継承権のある者が出てきては困るから。本当は処分すべきなんだろうけど、試練の時の恩があるから特別黙っててやるって」
「くそったれが」
つい汚い言葉が口を吐く。もう少し話の分かる奴だと思っていたのに、これだ。だから王族なんて奴らが嫌いなんだ。生きるも死ぬもこちらの自由だろうが。それを恩着せがましく「許す」だと?
「そういう訳だから、明日は早いうちにトロデーンへ帰るよ。もういいだろ、放してくれ」
溜息混じりに言うと立ち上がった。
「よくねえよ。お前はそれでいいのか」
「仕方ないさ。どう考えてもサザンビークの玉座をよこせって言っているのも同然のことなんだし」
自分のことなのに他人事のように話すエイトにも心の奥の方から怒りが湧き上がる。
「そんなの関係ないだろ。お前の姫様が不幸になってもいいのかよ」
隅へ向かおうとする背中に向かって呼びかける。
「トロデーンを戦争に巻き込むことはできない。それに『トロデーンを守って』とあの方は仰った。僕はそれを守る」
「それが姫様の本心な訳ないだろ。何でそうやってトロデーンのことばかり考えるんだよ!」
他の二人がもう寝ていることも忘れてつい熱くなってしまった。どう考えてもおかしいだろうが。誰が見てもあんなにエイトを慕っている姫様があっさりそんなことを言うなんて。
「僕はトロデーンの近衛兵だ」
振り返り、オレに正対してエイトは静かにそう言った。
「この剣は誰のためでもない、トロデーンの王家に捧げたものだ。なのに、いつかあの方が治めることになるトロデーンを一時の感情で危機に陥れる訳にはいかない。絶対に」
「そんなものに忠義立てするな!もっと大切にしろよ、自分を!」
が、言った途端襟元を掴み上げられた。
「『そんなもの』?」
いつもののほほんとしたエイトの顔ではなかった。あの決戦の、暗黒神に対峙している時の鋭い眼光が今ここにある。
「ククールはそんないい加減な気持ちで誓約を立てるのか。剣を捧げた以上、主命に決して背かず主君のために命を懸けるのが騎士の務めだろう」
「ち、が…」
「僕はトロデーンを今度こそ守りたい。もう二度と、僕のせいでトロデーンを失いたくないんだ」
「で、でも呪いを…かけたのは、ドルマゲスだ…ろ。お、お前には、関係ない、じゃ、ないか」
締め上げられて息が続かない。
「…関係あるさ」
自嘲気味にそう吐き捨てると、漸く手を離してくれた。同時にどっと空気が肺に流れ込む。
「あの時、そのまま封印の間まで従ってさえいれば、僕が盾になっている間にお二方を安全な場所まで避難させることができた筈だった。疚しくてつい、あの方の側を離れさえしなければ。誰が知らなくてもこの僕が知っている。あの方がお許しくださっても、僕は自分を許さない。絶対にだ」
疚しい?咳き込みつつもその言葉が頭の隅に引っかかる。
「…お前、まさか姫様を抱いたのか?」
「する訳ないだろう、そんなこと!」
予想通りの返答だったが、そこからいくばくかの捌け口が見えたような気がした。
「だったら、抱いてしまえよ、姫様を。ほんの一回であっても姫様はそれを頼りに生きていけるし、お前はそれで自分の心に決着がつけられ」
言いかけたところでまた掴み上げられる。
「それ以上言うならこの剣にもの言わせるぞ、ククール!」
エイトの眼の奥に紛れもない殺意が揺らめいていた。
「オレは本気で言っているんだ。疚しいと思う程度には知っているんだろ?坊主でもあるまいし、恋人に欲情して何が悪い。
抱いてしまえ、エイト。ただの一度でも身体を得られれば抑えられるものもあるんだ」
オレも真剣だった。ぼさっとしていたらばっさり殺られるような気がして。
「…身体が欲しいんじゃない…」
気が遠くなる程長い時間オレを睨みつけた後、ぽつんと呟いて襟首から手を離すと背を向けた。
「エイト」
「僕が欲しているのは…あの方の全て、だ」
馬鹿な奴。そんなものを望むなんて。普通の恋人同士であってもそれが得られたかどうかなんて一生かかっても分かりゃしないのに。
「…馬鹿な奴」
「ああ、馬鹿だよ」
思わず口から転がり出た本音が切り返される。
「分かったか?だったらもう寝かせてくれ。一時馬鹿な夢を抱いた兵士はもう、明日には帰らなければならないんだ」
もう何も言うことはできなかった。心のどこかでオレの浅薄な経験からでは何の助言も役に立たないだろうことに気付いていたから。
「…ああ」
「おやすみ」
横を通り過ぎながらこちらを見もせずそう言い置き、着替えもせずに寝床へ潜り込む。
「…悪かった」


その夜、部屋の隅の寝床にある人影はいつまでも寝返りを打ち続けていた。


                                                (終)




2006.10.5 初出









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