手綱




外は嫌味なまでにいい天気。
「ゼシカ、出ていらっしゃい。今日の主役がそれでは皆困ってしまいますよ」
閉ざした扉の向こうからお母さんの声が聞こえる。でもそんなこと知らないわ。だってもう、行かないって決めたんだもの。
「ゼシカお嬢様、どうかお部屋に入れてくださいまし。お仕度させてくださいまし」
メイドたちの声もするけど、知らんふり。行かないんだから仕度する必要なんてないんですもの。がっちり閉ざした扉に私の決意の強さを分かってくれたのか、漸く静かになってくれた。けど今度は外の方の物音が気になりだす。誰かこの村に着いたのかも。あの声はポルクとマルクかしら?え?
「ゼシカお姉ちゃんが出てこない」
ですって?嫌だわ、そんなこと大きな声で言わないでよ。
玄関が開く音がする。階段を昇ってくる足音は二つ。軽やかで華奢なものとちょっと重い、しっかりしたもの。お母さんと何か話し合っているみたい。でも部屋からは一歩だって動かないわ。
「ゼシカ、あなたにお客様よ。出てこなくてもいいから、ご挨拶はなさい」
お母さんが静かに、でもきっぱりと言う。…仕方ないわ、お客様なら。自分の口から事情を話して帰っていただかないと。
そう考えて閂を上げ─連れ出されそうになったらすぐ呪文を唱えて逃げる心積もりをして─扉を開けた。
「ゼシカ、久しぶりだね」
「ゼシカさん、こんにちは。まあ、綺麗なドレス!」
エイトとミーティア姫様だった。二人ともにこにこしつつも有無を言わせず部屋に入ってくる。
「二人とも久しぶりね…ってどうしてここに?」
唖然としている私に二人は顔を見合わせ、エイトが口を開いた。
「あれ?だってそういう予定だったんじゃないの?」
「ええ。約束の物、持ってきたのよ」
隣でミーティア姫様がにっこりする。ああ、そう言えばそうだったっけ。
「トロデーンに伝わる装身具のセットよ。『何か借りた物』の」
「ああ、そうよね、そうだったわよね。どうもありがとう。…でももういいの」
持ってきてくれたことは嬉しかったんだけど、でももうそれは必要ない。私は二人の前を離れ、部屋の奥の鏡台の前へ移動した。
「え?何で?」
エイトがとぼけた声を出す。ああもう、ニブいんだから!準備の済んでいないこの様子を見れば分かるでしょう!
「もう行かないって決めたの」
「え。だってみんな集まって集まっているよ。義父上は代父だっていうんでやけに張り切っているし。ほら、ヤンガスなんてばっちり礼装しているんだよ」
「…」
ぷい、とそっぽを向く。何でそんな子供を宥めるようなこと言うのよ。それにヤンガスの礼装なんてエイトの結婚式の時に見ているわ。
「ゼシカさん」
と、急に横で黙ってやり取りを聞いていた姫様が話し掛けてきた。
「行きたくないのならここでおしゃべりでもしませんか?」
予想外の言葉に私もだけどエイトも眼を剥いた。
「ミーティア」
「エイトは先に行っていて。女同士の会話なんですもの」
「…うん、分かった」
姫様のきっぱりとした態度にエイトは渋々頷いて部屋を出て行く。が、その後姫様が扉に鍵をかけたのに気付いた。
「え?」
「さっ、これでゆっくり話せるわ」
にこにこしながら言うんだけど、何だか怖いわ。
「ゆっくり?だってもうお客様も揃っていて、式が始まるんでしょ?」
「あら、主役の一人がいないのでは式は始められないわ」
あれ、連れ出しに来たんじゃないの?
「女の方のお仕度は時間が掛かるものなんですもの。皆様もそれは分かっていてよ。だって一生に一度のことなんですもの」
「一生に一度、ね…」
その言葉に深く溜息を吐いた。
「そのつもりだったんだけどね…」
「あら、そうでしたの?てっきりまだ心を決めかねているのでは、と思っていましたのに」
何て言うか…似たもの夫婦よね、エイトとミーティア姫様って。きょとんとした顔がそっくりだわ。
「私も決心していたし、あいつもそうだったと思うのよ。少なくとも早くこの村に馴染むため、ってことで式の大分前にここに来た当初は」
首を傾げるばかりで姫様は何も言わない。仕方がないから何となく場つなぎ程度にぽつぽつと話し出す。
「でも…」
「でも?」
何だか話しているうちに怒りが戻ってきたわ。
「あいつったら村の女の人を片っ端から口説いているのよ。お年寄りから子供まで。昨日なんて宿屋のおばちゃんに『あなたの向日葵のような笑顔を見ると一日頑張ろうという気持ちになれる』なんて言っていたの!」
あ、もう駄目。腹の底から怒りがふつふつと煮えたぎってきたわ。
「それにお母様だって!『お二人も子供をお産みになられたとは思えない程若々しくていらっしゃる』とか口説いているし!それってどこのメロドラマよ、そんな泥沼真っ平だわ!」
私の剣幕に驚いて何も言えずにいたミーティア姫様だったけど、急に吹き出した。
「何よ、姫様。笑い事じゃないわ」
「ご、ごめんなさい。あ、あまりにゼシカさんがヤキモチ焼きだから…」
ぷるぷると身を震わせて笑いを堪えている。そんなに笑うことじゃないわ、それにヤキモチ焼きって。
「そんなんじゃないわ。分かってはいたけど、そんな女ったらしとは一生を誓えないわよ。だから」
「だから式に出ない、ってことなのね」
漸く笑いを収めて言った言葉に深く頷いた。
「お客様には申し訳ないんだけど、この式はなかったことに…」
「あら、それは駄目よ」
にこやかに、でもきっぱりと遮られる。
「自分の気持ちに嘘吐いては駄目」
「う、嘘じゃないわ」
「うふふ、ではどうしてドレスを着ているの?」
びしっと突っ込まれ、返す言葉に詰まる。
「これは、その」
しどろもどろの私にそれ以上の追求はなく、話題が変わった。
「ゼシカさん…リーザス村っていいところね」
「え?あ、そ、そうね」
突然のことに我ながら間抜けな相槌を打つ。何が言いたいのかしら。まあいい村だと言われると嬉しいけど。自分の故郷なんだし。
「世界中を旅して、色んな街や村を見てきたけれど、ここは本当に穏やかないい村だと思うわ」
私は黙って頷いた。旅が終わってこの村に帰ってきた時、どんなに嬉しかったか、ほっとしたか、今も覚えている。家に帰るって素敵なことだった。なんてことを思っていたから、次の言葉は唐突に聞こえた。
「だからこそ、一生懸命なのではないかしら」
「え?」
「この静かな村に馴染もうとしていたのではないかしら、あの方なりに」
と、姫様が私の眼を覗き込んでくる。
「だ、だって、だからって何で片っ端から口説かなきゃならないの。別にそんなことしなくたってこの村の人たちはみんないい人よ。ちゃんと受け入れてくれるわ」
必死に反論を試みる。が、
「そうね…この村で生まれて育っていらしたゼシカさんはそう思うかもしれない…」
と軽く流されてしまった。その上、
「ね、ゼシカさん。エイトの子供の頃の話って聞いたことあるかしら?」
また話を変えられた。
「えっと…愛想のない、痩せこけた子供だった、って話?」
「そう。城に来た当初はそうだったの。愛想がないだけじゃなくて、感情も表に出せなかったの。だから中々馴染めなくて、疑われたり疎まれたこともあったって言っていたわ」
そんなこともあったのね。今のエイトからは全く想像できないけど。
「あの頃、もうちょっと愛嬌のある子供だったら、ってエイトは言うの。もう少し楽に城の生活に溶け込めたんじゃないか、って」
「…それと同じことをしているってこと?」
何だか話の筋が見えてきたわ。
「ええ」
「だからって何で美辞麗句の大安売りになるの。それも女の人にばかり」
「あら、女の人の噂話の威力って強いのよ。それに一度嫌われてしまったら挽回するのは大変だわ」
「そうなのかしら…」
正直、そういう噂話って好きじゃなかったからよく分からない。でもそういうものなのかしら。
「それに女の人に人気のある方だって分かっていらしたでしょ?」
「まあ、それはそうなんだけど…」
肩を竦める私に、内緒話でもするようにミーティア姫様が語りかけてくる。
「あのね、お城ではエイトはとっても人気があるの」
「そうなの?」
それはそうかもしれない。だってあの城を救った英雄だもんね。
「エイトは皆に優しいのよ。時々メイドさんたちから贈り物を貰ったりしているの」
「ええっ、そんなことされて姫様は平気なの?!」
あの物固そうなエイトもそうだなんて。ああもう誰も信じられないわ!
「うふふ、平気、って言ったら嘘になるのかしら」
平気じゃないのならどうしてそんなに穏やかに微笑んでいられるの。私だったらちやほやされて鼻の下伸ばしているあいつを見たら即メラゾーマ、だと確信しているわ。
「平気ではないわ。心がちょっと波立つ感じ」
そう言って自分の胸に手を当てる。
「でも、優しくすることと愛することの間には大きな隔たりがあるわ。ゼシカさんは村の皆様がお好きでしょう?」
優し気な問いかけに私は素直に頷いた。
「ええ。…そうね、皆大好きよ」
「ではその方々とあの方とは同じようにお好きなのかしら?」
一瞬息が詰まる。同じ?そうかしら?同じ言葉で括ってはいるけど。でも。
「…そうね」
自分の中に答えはあった。なぜあいつのことになるとむきになって怒ってしまうのか。
「そうだわ。違う、全然違うわ。他の人だったらこんなに腹が立ったりしない。だって…」
好きだから。それは言葉にできなかったけど、伝わったのだろう。私の眼を見返して深く頷いた。
「それにね」
ちょっと悪戯っぽい笑みを浮かべて姫様が言う。
「人気があるって悪いことじゃないわ。それだけ好かれているってことですもの。いいことだと思いません?」
「うふふ、それもそうね」
「その分しっかり見張っておけばいいの。あのね、エイトは気を遣って贈り物を貰ったことは話してくれないのよ。でもそのことはちゃんと知っているわ」
「ええっ、そうなの?!」
あのほんわかした雰囲気のミーティア姫様とは思えないような言葉。
「だってそうでしょう?変な方向に行ってしまったら困りますもの。人気者でいられるように、でも決して手綱は離さない」
澄ました顔の姫様につい笑いが零れる。そっか、じゃ、今は姫様が手綱を握っているのね。
「エイトは多分このことを知らないわ。それにこういうことは男の方には知らせない方がいいように思うの」
「だから女同士、って言ったのね」
漸く納得した。そういうことだったのね。
「ええ。それにこれって結構楽しいのよ。人気のある男の方程楽しいのではないかしら。私はエイト一人でもう充分ですけど」
これって惚気?どこか得意気に言われて何だかちょっと悔しい。
「素敵な方なのでしょう?」
「…ええ」
頷いた時、ふと対抗心に火が着いた。
「姫様のエイトより、ちょっと上かしら」
「まあ、うふふ」
「うふふ」
二人で顔を見合わせ、どちらともなく笑い出す。
「…さあ、お仕度しなくては」

              ※           ※           ※

外に出ると眩い光が目を射す。
「本当にいい天気」
教会まで姫様が一緒に行ってくれるという。お母様は一足先に出ているらしい。二人で並んで歩いて行くと、だんだん晴れがましい気持ちになってきた。
「おーい」
向こうでエイトが手を振っている。その隣にはトロデ王様。
「行ってらっしゃい、ゼシカさん。一人で行く道より二人で行く方が数倍楽しいわ」
ちょっと足を竦ませた私に囁いてくれる。
「そうそう、この日の為にあの方も相応しい礼装を整えてきたのよ、錬金釜を使って。見てあげてね」
「えっ」
何だか嫌な予感。
「まさかダンシングメイルにファントムマスクじゃないでしょうね。そんな格好していたりしたら逃げるわよ」
「うふふ、さあ、それは後のお楽しみよ」
…今更気付いたんだけど、姫様って人が悪いわ。
「先に入らせていただきますわね。楽しんでいらして、ゼシカさん。一生にたった一度きりのことなんですもの」
もう教会の扉の前まで来ていた。待っていたエイトとミーティア姫様は私に手を振ると先に中へ入って行く。
「覚悟はよいかの?」
冗談めかして問いかけるトロデ王様に私は晴れやかに笑ってみせる。
「ええ、もちろんよ」
そう、扉の向こうには新しい世界が開けている。私とあの人、二人で行く世界が。
行きましょう、二人で。喜びも、悲しみも分け合うために。しっかりと手綱を握って、ね。


                                              (終)


2006.2.17 初出 






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