Allegro non troppo





分かっているわ。警備の近衛兵さんたちが怪訝そうな顔でこちらを見ていることぐらい。だけどどこにもぶつけようのない怒りってものがあるでしょう!
階段を上がって角を曲がる。警備に立っているのは…エイトではないわね。こんな時にのんびり突っ立っていたら一気に魔力大暴走できる自信があるわ。
苛立つ気持ちを抑えつつ──相手もちょっと引きつった笑いを浮かべていたから隠せてなかったかも──来意を告げ取次を頼むと、扉は開かれ速やかに中に通された。
扉が開いた瞬間、ピアノの音が私を包み込んだ。聞いたことのある曲だったけど、信じられないような速さで音が紡がれそして真珠の珠のように零れ落ちていく。初めて聞いた時はただの技術を誇示するだけの曲だと思っていたのに、今ここで聞くと胸の奥が掻き毟られるような気持ちにさせられた。
「ゼシカさん」
はっと我に返ると、演奏は終わっていた。姫様がこちらを向いて穏やかに微笑んでいる。
「ありがとう、来てくださって」

          ※           ※           ※

本当のことを言えば、私は姫様があまり好きではないと思っていた。もっとはっきり言えば嫌いだった。
たくさんの騎士に大切に守られ、助けを待つだけの典型的なお姫様。何かあれば気絶して周囲の人々があれこれ尽くしてくれることが当たり前だと思っている、そんな人だと勝手に思い込んでいた。エイトの傅きぶりを見ていたから余計に。
そんな昔話に出てくるようなお姫様が子供の頃から大嫌いだった。どこかに囚われたというなら自分で逃げ出せばいい。敵に襲われたのなら戦えばいい。ただ何もしないで助けを待つなんて私には我慢できない。子供の頃からずっとそう思っていた。母さんには呆れられたけど、兄さんはひとしきり笑った後で、
「戦いたいのなら、自分の強さを見極めて戦わないと。何もできないのに戦われたらかえって邪魔になるだけだよ」
って言ってくれたのだった。
今ならば分かる、兄さんの言葉の意味。でもその頃は分かってなくて、「だったら強くならなくちゃ!」ってこっそり呪文の練習をしたり棒を振り回したりして強くなったつもりでいたの。
本当に馬鹿だったわ、私。兄さんがあんなことになって、旅に出ることになって、自分がいかに浅い考えしか持っていなかったことを知った。どんなに頑張ってもダメなことってある。力勝負ではエイトやヤンガスには到底敵わない。呪文勝負だったら負けるとは思わないけど。努力の外側に才能の差があって、それはもうどうしようもない。自分ができないことでいくら足掻いてみてもかえって足手まといになるだけ。最初のうちはそれを認めるのはすごく嫌だった。
「できねえことを認めるのも勇気ってもんなんだぜ」
青銅製の盾を装備しようとしたけど、腕が痺れてものの一刻と持たず取り落とした私にヤンガスからの言葉。どうしようもない事実に無理やり納得したけど、心の中では力を追い求めていたのだろう。杖に──暗黒神に取り憑かれてしまったのはきっとそんな無謀な欲求があったからだと思う。
強くなりたい。兄さんを殺したアイツに復讐したい。ただそれだけを願った力は間違いだった。自分を守りたい、仲間を助けたい、この世界を失いたくない、そう心から希った時初めて心が解放されて新しい力を手にしたのだった。自分中心の子供っぽい狭い考えから抜け出せてやっと、他の人にもどうしようもない限界というものがあって、それは個人差なのだと気付いて受け入れることができるようになったのだった。


そう、今だから言えるんだけど、姫様が嫌いだと思っていた理由は本当はエイトにあった。リーザスにいた頃は村の人たちや船乗りたちの誰からもちやほやされていたのに、エイトはそれをしない。兄さんに似ているのに、妹の私をかわいがってはくれないで馬ばかり傅いていてヘン!とまで思っていた。
でもエイトは兄さんじゃない。仲間だった。
「できないのなら、できないと言ってほしい。無理したり、背伸びされるとみんな困るんだ」
ついむきになって魔物に呪文を投げ続けてしまい、精神力が尽きてこちらが危機に陥ってやっとのことで逃げ切った後でエイトに言われたの。厳しい顔で。
兄さんならそんなこと言わない。「無理するなよ」って言って守ってくれるのに。私を一番に守ってくれるのに。頑張っている私を見て。そんなただ馬車を牽くだけの馬ばかり構わないで。そんなただ守ってもらって当たり前って顔でいるような女なんか大嫌いなんだから!と、しばらくの間そんなどろどろとした思いが胸の中で渦巻いて、でもそんな気持ちを抱いているということを知られたくなくて、姫様とは必要最小限の関わりしか持たないようにしていた。
結局、自分の嫌な部分を彼女に投影していたんだと思う。頼っていたのは私。自分の力量も見極めないで無理無謀なことばかりしていたのも私。守られて当然って顔していたのも私だった。
姫様は確かに、おっとりしていてどこか浮世離れした雰囲気がある。ここまでだったらずっと嫌いなままだっただろう。だけど泉で話を聞いているうちに、ふわふわした中にも一本芯の通ったところがあって、その通り方に私も納得できるところがたくさんあって、彼女の在り様に尊敬もし共感もするようになっていた。同時に勝手な思い込みも変な嫉妬心もなくなっていたの。
トロデーンへの想い──それが姫様の心を貫く一本の柱だった。それはきっと、エイトへの想い以上に強いものだったのかもしれない。だって、そうじゃなかったらあんなボンクラ王子なんて放っといてさっさとエイトを選んでしまったに違いないもの。
でも、それって…


          ※           ※           ※


部屋に通されて、ピアノが梱包されていないことに気付く。
「ピアノは…」
「ええ」
穏やかな微笑みを浮かべて、姫様は愛おしげに鍵盤を指先で撫ぜた。
「持っていっても多分弾くことはないでしょうから」
「…どうして!」
信じられない。トロデ王様もエイトも、あんなに「姫様はピアノが大好き」だって言っていたのに。
「穏やかに…穏やかに微笑んでみせるだけのこの先だというのに」
優しい口調だったけど、唇が震えたように見えたのは気のせいではないと思う。でもそれは一瞬のことで、やや眼を伏せながらもきっぱりとした態度で続けた。
「私の務めはトロデーンの民を護ること。そのためならばこの身を流れる血の最後の一滴までも使いましょう。個人の想いは無いものとして、ただトロデーンのために在りたい。だからこそ、ピアノを持って行くことはできないのです」
私はさっき聞いた姫様のピアノの演奏を思い出していた。彼女のピアノは他の誰かに聴かせるためではない。ただ言葉にすることのない、言葉にしてはならない自分の想いのためだけに弾いていた。だからこそあんなにも心を抉られるような気持ちにさせられたのだと思う。
「…分かったわ。でも、だからこそ」
「いいえ!」
あんな弾き方をしていたらきっと気付かれてしまう。芸事には詳しくない私でも何を訴えているのか感じ取ることができるくらいなのだから。それでも心を開放する瞬間がなければ想いに押し潰されて心が死に、身体も死んでしまうのに。せめて素知らぬ顔でひっそりと想いを解き放つ時間を持てれば、と言おうとしたところで、常にもなく激しい口調で遮られた。
「想いを偽ることなどできないのです。ずっとずっと素のままの想いを託して弾いてきた私には。気付いたのでしょう、ゼシカさん」
返事などできなかった。今のピアノも、旅の途中で聞いた歌も、彼女の様々な想いに溢れて彩られていた。懐かしいトロデーンへの想い。過ぎてきた日々への郷愁。惜別の想い。そしてあからさまにするまいとしている人への想い…どうして気付かずにいられるだろう?
「心を偽って生きていくというのに、私は音に嘘を吐けない。…だったら置いていくしかないでしょう」
きっぱりと言い切った姫様に対して行き場のない思いが込み上げる。
「偽らなければいいじゃない!何で諦めるのよ!」
「諦めたのではないの!」
そしてあの深い色を湛えた眼でこちらを見た。
「そう決めたの。全ては、トロデーンのため。輝くような思い出がある限り、私は歩いて行ける。どんなに暗く、もう二度とエイトの歩む道と交わらないと分かっていても」

「…分かったわ。もう止めない」
長い沈黙の後で、漸くそれだけを言った。それだけ決意を固めている人にもう翻意しろだなんて言えない。何よりも優先しなければならない義務があることだって分かっている。でも──
「─エイトを呼んできて」


          ※           ※           ※


こんな結末、望んでなんかいない。エイトもエイトだわ。この城を救ったのよ?世界を救った勇者なのよ!何の不足もないじゃない。どうしてこの数か月の間何もしなかったのよ!だから薄ぼんやりなんて言われちゃうんだわ。
…分かっているわ。エイトが何も考えていなかったなんて決してないってことを。どんなに頑張ってもどうしようもないことだって。それが姫様のことなんだって。
だけど分かっているからって納得できる訳じゃない。納得しようなんて思わないんだから!



                                            (終)


2014.2.5 初出  






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