楽しみの代償




二人の子供がトロデーン城の堀端に立って、大きな木を見上げていました。
「春から目をつけてたんだ。でもこんなにいっぱい…」
その木はさくらんぼの大木でした。赤い、晩成種の甘くて大粒の実が鈴なりに実っています。エイトは嬉しそうに見上げました。
「これは、なあに?」
ミーティア姫は何かが木に実っているところなど見たことがありません。それにある理由から姫の食卓にはさくらんぼがそのままの形で並ぶことがなかったのです。
「さくらんぼだよ。すっごくおいしいんだ」
上の空で答えつつ、さてどうしたものかと首をひねりました。枝は高いところにあり、子供の手では届きません。
「登って取ってくるよ。ミーティアはそこで待ってて」
「あっ、待って。ミーティアも行くわ」
するすると幹に足を掛けて登っていくエイトを追おうと姫も幹に取り付きました。が、そんな見様見真似で登れる筈がありません。すとんと滑り落ちてしまいました。
「…」
ミーティア姫はドレスの裾を払うと俯いて足元の草をいじりました。痛かった訳ではありません。下は草地でしたから。エイトのようにうまくいかないことに対してちょっと気落ちし、取り残される感覚に寂しさを感じたのです。
「うわ、だめだ」
急に声が降ってきて、姫は慌てて上を見上げました。
「ぬるくてあんまりおいしくないや。今から落とすから、拾ってよ。後で泉に持ってって冷やして食べよう」
「ええ!」
元気よく立ち上がると、そこへさくらんぼがぱらぱらと降ってきます。姫は急いで着ていたエプロンドレスにさくらんぼを集めました。今度はそこ目掛けてさくらんぼが落ちてきます。
あっという間にエプロンドレスいっぱいのさくらんぼがたまりました。
「すごいわ。こんなにたくさん」
木から下りてきたエイトに姫がそう言うと、エイトはにかんだように笑いました。
「毛虫がいっぱいいて大変だったんだ」
「毛虫!まあ、怖いわ。エイト、大丈夫?刺されたりしなかった?」
「うん。平気」
心配顔のミーティア姫に照れ臭そうに笑って、
「いこ」
と泉を指差したのでした。

            ※           ※           ※

泉の湧き水で冷やしたさくらんぼも、食べ頃のようです。
「うわー、すっごくうまいや」
エイトは次々にさくらんぼを食べています。でもミーティア姫は困ってしまいました。赤くてつやつやした実はそれはおいしそうなのに、軸の部分は硬くて食べられそうもありません。今まで躾られてきた正しいテーブルマナーでは、一度口の中に入ったものは何であれ食べなければならないのです。
これが姫が今まで生のさくらんぼを食べたことがない理由でした。砂糖漬けやシロップ漬けにしたものは みな軸も種も抜いてあったのです。
(先に軸を取ってしまえばいいわよね)
それに思い至った姫は軸を取ると、実を口に入れました。
ひんやりしたさくらんぼに歯を立てると、微かな酸味に引き立てられた甘い果汁が口の中に広がります。
(まあ、とってもおいしいわ!)
が、
「もごっ」
「大丈夫?」
大きな硬いもの─種でした─に歯が当たりました。エイトには「大丈夫」とでも言うように頷きましたが、姫は困ってしまいました。これはどうやっても食べられそうにありません。かといってそのまま飲み込むにはちょっと勇気がいる大きさです。
どうしよう、と困っていると、隣のエイトがぷっと泉に向かって種を飛ばしたのです。
(まあ、これはそうすればいいのね)
深刻な問題があっさり解決してさっぱりした気持ちになった姫は、思い切り種を飛ばしてみました。
「あっ、すごい飛んだ!」
エイトが手を叩きます。姫はすっかり嬉しくなって、次のさくらんぼに手を伸ばしました。
「でも僕も負けないもんね」
エイトも競うようにさくらんぼを頬張ります。
「えいっ」
「えいっ」
二人とも夢中になってさくらんぼの種を飛ばし合ったのでした。

            ※           ※           ※

が、それは突然やってきました。
「ご、ごめんなさい。あ、あの、み、ミーティア、もうお城に、か、帰らない、と」
急にミーティア姫が立ち上がりました。頬がすっかり蒼ざめています。
「どうしたの?大丈夫?」
その様子に驚きつつも急な様子の変化に怪訝そうな顔をしたエイトでしたが、すぐに理由が分かりました。
「ぼ、僕も、か、帰らないと」
二人とも急にお腹が痛くなったのです。
「…エイトも?」
「う、うん」
甘くておいしいさくらんぼ、でも食べ過ぎるとお腹が痛くなることがあるのでした。二人が食べたさくらんぼの量では、腹痛になってしまっても仕方ありません。何しろエプロンドレスにいっぱいだったのですから。

            ※           ※           ※

二人ともよろよろしながら城に帰り、ミーティア姫はトロデ王から、エイトは料理長やら姫の教育係からたっぷり説教されました。「変なものを食べてはならない」と。でも二人にとっては、一晩中腹痛に悩まされ続けたことが何よりの説教だったのでした。「おいしいからといって、食べ過ぎてはいけない」という。

                        (おしまい)




2006.8.2 初出 






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