本を読む人





悪天候が続く今日この頃、ミーティアの散歩は中止になっている。毎朝の散歩にはいつも僕が付いていたが、先日、
「別の近衛兵をお連れになっては」
と進言したところすっかりふさぎ込んでしまって、その後は天気の悪さもあって一度も会っていない。ちょっと言い過ぎたかな、と思っていたある日、姫付きのメイドさんが僕のところへやって来た。
「『前に話した本、とても面白かったから是非エイトにも読んで欲しくって』と仰っておいででしたわ。散歩の時にでも返して下さればいいそうです」
そう言うと本を置いていった。
確かにかつてこの本の話をしたことがあった。でも随分前の話だ。よく覚えていたな、と思いながらページを繰っていくと栞が挟まれてあった。薄く鞣した革に金箔でトロデーンの紋章が刻まれたもの、そう、ミーティアの物だ。どうしてここにミーティアの栞が?と思いつつそのページを読んだ途端、僕は息が止まりそうになった。


会わないでいよう とあなたは言う
でも どうしてそれに 従えましょう
干潟に育つ葦の その節ほどの
ごくわずかな時の中でしか 私たちは会うことができないのに


ミーティア…どうしてそんなことを言うんだ。いつか必ず会えなくなる日が来るって分かっているのに。その日への覚悟をするために避けているのに。今でさえ僕は気持ちを抑えることに苦労しているのに、二人で会って話してしまったらもう我慢できないに違いない。ミーティアへの気持ちが何物であるか気付いた頃はまだ抑えることができた。でももうその気持ちは大きく育ってしまって、いっそどこかへ攫ってしまいたいと思う程自分の中で暴れている。
だからこそ、別の近衛兵を、と言ったのに。輝くような笑顔を僕に向けてくれる度、僕は自分の中の焼け付くような思いと戦わなければならないから。その笑顔に負けてしまえたらどんなに幸せだろうと何度思ったか。負けてはならないはずなのに。
そうやって笑顔を避けようと顔を背ける度に悲しそうな顔をさせてしまう。見ていて切なくなってしまう程悲し気で、つい手を伸ばして慰めてあげたくなる。でも触れることはできない。どうなってしまうのか自分でも分からないから。そんな自分に負けてしまう前にあの人を思い切ってしまいたいと何度思ったことだろう。
だから、最初は別のページに栞を挟んだ。「直接会って話せるならば話してしまいたい。思い切れるならば思い切ってしまいたいと」という内容のところに。
でもよく考えたらこんなことを改めて言う必要なんてない。分かり過ぎる程分かり切っていることで、今はそれを見ないようにしているだけなんだから。
自分の気持ちをぶつけて悲しませるよりは些かの希望でも持たせてあげたい。一番大切なことはあの人の気持ちで、僕がどうこうということではないはず。
僕は恐る恐る栞を取り出し、別のページに移動させた。
本当にこの通りになればいいのに。儚い願いだとは分かっているけど。



栞を挟んだ本を渡してから数日後、朝の散歩の時に本が返ってきた。
「どうもありがとうございました、姫様」
という素っ気無いほどの言葉とともに。エイトの様子はいつもと全く変わりなく、期待しないようにしていて、その実何か起こることを期待していた私はちょっとがっかりした。その上エイトは、
「僕はこれから歩哨の仕事があるので失礼いたします」
とあっさり踵を返して行ってしまった。気付かなかったのか、それとも気付いたけれど私を主としか見ていないのであのような態度だったのか分からない。きっとエイトから何か反応が─それもいい反応が─あると思い込んでいた自分が恥ずかしい。あんなことしなければよかった。何を期待していたの、馬鹿なミーティア。
でもふと本に目を遣ると栞の位置が移動していることに気付いた。確かもっと前の方に栞を差していたはず。でも今はずっと後ろの方に挟まれている。これは、もしかして…?
高鳴る鼓動を抑え、心は急いで、でもそうは見えないようにゆっくりと部屋に戻る。緊張のあまり脚が震え、息も乱れて部屋に辿り着いた時にはふらふらになってしまった。椅子に倒れ込むようにして座ると、覚束ない手でページを繰る。早く早く、と思っても思うように動かない自分の手がもどかしい。
漸く見つけた栞のページにはこう書かれてあった。


岩に割かれた 急流も
その流れは いつか必ずめぐりあう
今は人目に引き離されても 本当の思いならばまた会えるように
だから忘れないで 再び会えるその日が来ることを
信じているから その日が来ることを


…そうね、そうかもしれないわよね。先の事は分からないんですもの。希望だけは大切にとっておきましょう。ありがとう、エイト。もしかしたらたまたまここに栞が挟んであっただけかもしれないけれど、ちょっとだけ楽になったような気がするわ。
そしてごめんなさい。あなたの気持ちは分かっていたつもりだったのにあんなことを言ってしまって。でも側にいられる限りずっと側にいたいの。だってそうでしょう?会えなくなってしまったら、会うことができた日々を思い返すことしかできないのよ。わがままだとは分かっているけれど、今だけは側にいたいの、エイト。
…今だけは先のことに目をつぶって、希望だけを持っていましょう。再び会えるその日があるって。


きっとあるわよね、エイト…
                                     (終)





2005.2.17 初出 2006.12.30 改定









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