でもエイトはなかなか秘密を明かしてくれない。あまり追求し過ぎるのもよくないと思ったのであれ以後は面と向かって聞いてはいないのだけれど、絶対何か隠している。
爪が真っ黒だったのは一度だけで、その後は気を付けて手を洗うようにしているのか、土が入っていることはなくなった。でもやっぱり土いじりはしているみたい。だってこの前なんて服の縫い目から古い葉っぱの欠片が落ちたんですもの。同じようなものを昔庭師のじいやが薔薇の木の根元に掛けてやっているのを見たことがあるの。
「こういう土に還りかけている葉っぱには栄養がありますでな、薔薇のような肥料食いにはもってこいなのですじゃ」
って言っていたわ。
庭師の仕事を手伝っているのならそう言えばいいのに。隠そうとするから追求したくなってしまうのよ。


結局何も聞き出せないまま時は過ぎ、私の誕生日がやってきた。
この城で誕生日を迎えられるなんて思ってもみなかった。去年の誕生日が最後のものになるのだと思っていたから…
そして隣にはエイトがいる。去年は旅の中、呪われた姿だったから草しか食べられなかったけれど、傍にエイトがいてくれた。でも今はこうして、私の夫として傍にいてくれる。
「おめでとうございます、姫様!」
そして旅の間で親しくなった人たちもいる。色んな人とお話しすることがこんなに楽しいなんて思ってもみなかった。呪われた事は辛かったし、茨に取り込まれ悪夢の中にあった人々のことを思うと胸が痛んだけれど、あの自由な空気を知ることができたのは嬉しかった。そして傍にはいつもエイトがいて、先を示していた…
これからはずっと、エイトと同じ未来を見続けていくのね。
「…嬉しい」
小さな呟きはエイトの耳にも届いたらしい。
「どうしたの?急に」
「ううん、何でもない」
と言ったけれど、エイトは首を傾げて答えに満足していない様子だった。
「…あのね、ただ嬉しいの。こうしていることが」
こんな答えでいいかしら。ぴったりした言葉が見つからない。でもエイトは笑ってくれた。
「…そうだね。何となく分かるような気がする」
そう、何となくなの。蝋燭の炎に手を翳すとほんのり温かいような、大好きな人たちの作る優しい空気。本当は儚いことなのかもしれない。この場を離れたらあっという間に消えてしまうささやかな幸せ。でもきっとそれが一番大切なことのような気がする。
「後でさ、」
突然エイトが口を開いた。
「見せたいものがあるんだ」
「何?」
「まだ秘密。後のお楽しみ」
悪戯な笑いを浮かべている。エイトってこんな笑い方したことあったかしら?
「もしかしてあのこと?」
「秘密だって。ほら、ダンスだよ」
そうやって話を逸らす。
「もう」
「練習したんだよ、メヌエットのステップ。今日はばっちりだから」
にこにこしながら私の手を取る。
「待っていれば必ず分かるから。今は一緒に踊ろうよ」


夜も更けてきてお酒が回り始めると無礼講の様相を呈してきた。あちらでは三角谷からはるばるやってきてくれたバーテンさんがお得意のカクテルを振る舞っている。
「そろそろ戻ろうか」
「そうね」
場の雰囲気を壊さないようにお父様にだけこっそり暇を告げて広間を出る。でも、
「こっち」
エイトの足の向く先は部屋ではない。
「どこに行くの?」
聞いてもにこにこしているばかりで何も答えてくれない。けれども重苦しい空気はなかった。
「…覚えているかな?」
突然エイトが口を開く。
「何?」
「昔、二人で城の中を探検したこと」
トロデーンの歴史は古い。幾多の戦乱や海賊の横行に晒された城には今は使われていない秘密の抜け穴がたくさんあった。敵に攻め込まれた時のために。
「ええ、覚えているわ。本当に楽しかったわね。あの時まで自分のお家がどうなっているのか知らなかったのよ」
「埃だらけになって、よく怒られたっけ」
言葉に懐かしそうな響きが混じる。
「あの時はごめんなさい。ミーティアのわがままだったのに、エイトまで怒られてしまって」
「ううん、いいんだ。僕も楽しかったんだし」
と言った後、ちょっと躊躇ってから付け加えた。
「そういう記憶がないせいもあるんだろうけど、同い年の友達がいて、遊んだりするのってすごく楽しかったんだ。今思えば大したことないのかもしれないけど、真っ暗で誰も知らない場所にいるのって大冒険しているような気がしてさ」
「…ええ、分かるわ」
大人になってしまえば大したことのないことでも、あの時の私たちにとっては冒険だった。城の中を歩くだけでも知らない場所、というだけで緊張したし、ましてそれが城の外だったりした時はもう、それこそ大冒険を果たした、というような顔で城に戻ったものだった。
「その時その時で冒険していたのよね、ずっと」
「うん」
エイトの手に導かれるまま、いつの間にか古い通路を歩いていた。前に通った時はもっと埃っぽかったのだけれど、今は綺麗に掃除されている。
「あら、この通路…」
「うん、そうだよ」
かつてエイトと見付けた古い通路。うんと子供の頃、エイトはトーポに掛けられた疑いを晴らしたくて、私は困っている友達を助けたくて足跡を追った場所。その先には…
「どうぞ、こちらに」
大袈裟な身振りでエイトが扉を開く。そこは海側からの敵を見張るための場所─
「あっ」
ではなかった。崩れかけた石組みや雑草は綺麗に取り除かれ、意外に広かったその場所は小さな庭になっている。
「エイト」
エイトは嬉しそうに笑ってみせた。
「僕からの誕生日プレゼント。ほら、去年は何もできなかったでしょ?だからその分込みで」
月明かりに照らされたその庭はとても美しかった。この季節なのに薔薇が咲き乱れ、貝殻で縁取りされた花壇にはかわいらしいお花が咲いている。小さな椅子とテーブルまで据え付けられていた…
「…」
私はもう何も言えず、かがんで足元に咲いていた薔薇の花をそっと撫でた。ほころびかけたその花から香しい薫りが広がる。
「ミーティア…」
振り返るとエイトが不安そうな顔をしていた。
「気に入らなかった?」
「ううん、違うの」
でもそれ以上言葉が出てこない。胸が一杯になってしまって、思いが頭の中を廻っているばかり。
「…ありがとう、エイト。嬉しいわ。言葉では言い尽くせない程。エイトと一緒にお誕生日を迎えることができただけでとっても嬉しいのに、こんなに素敵な贈り物を貰って」
一生懸命心の中を探って、浮かび上がる言葉をそのままエイトに差し出す。言っているうちに涙が零れてしまった。とても嬉しかった筈なのに。
「ずっと大切にするわ。今までも大切な場所だったけれど、これからはもっと…」
「僕たち二人で大切にしていこうね」
嗚咽に途切れた私の言葉をエイトが続ける。涙を拭う手が取られ、エイトの唇が涙を吸い取った。
「よかった、喜んでくれて。このためにずっと頑張ってきたんだから」
その言葉にふと、あの時の手を思い出した。
「ここの土いじりしていて爪に泥が入ったのね」
「うん」
そのあっさりとした物言いにちょっと拗ねた口調で言ってみた。
「どうして言ってくれなかったの?」
「びっくりさせたかったから」
と無邪気に笑う。
「…僕にとってもここは大事な場所だったんだ」
しばらくしてからぽつんと呟いた。
「うんと小さい時の記憶ってないからさ、ここに来てからの思い出の一つ一つがすごく大事だった」
無言で頷く。あの時エイトは呪いのせいでここに来るまでの記憶がなかった。
「ここで色んなことがあって思い出が増えてきてすごく嬉しかったんだ。それが全部ミーティアとの思い出でさ、一時すごく苦しかったことがあったけど、でも今はそれでよかったって思っている」
「そうね」
こんなことがあったね、って話し合えるのってこんなに素敵なことだったのね。
「思い出を共有できるのって、素敵なことね」
「うん」
「同じ未来を見ることも」
「うん」
肩を抱き寄せられる。目を閉じた私の額に口づけが落とされた。
「…ずっと、一緒にいようね…」
エイトの囁きに深く頷く。ずっと、一緒に…


「くしゃん」
急にくしゃみが出てしまった。顔を見合わせるとどちらともなく吹き出す。
「戻ろうか、寒くなってきたし」
笑いが収めながらエイトが言った。
「ええ」
と頷いた私の横で身を翻す。
「エイト?」
「部屋まで競争!」
と言っている間にもう数歩先を走っている。
「あっ、ずるいわ!」
急いで後を追う私に向かって手が差し伸べられた。手を取ると半歩先のエイトが微笑む。
「一緒だよ」
「一緒よね」
私も笑い返す。そうよね、ずっと一緒なのよね。春も夏も、秋も冬も…


                                           (終)



2005.12.6〜10 初出









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