木いちご摘み




木いちご摘み





エイトに会いたい。
だけどエイトには仕事がある。偶然会えてもほんの少しの間おしゃべりできるかできないかぐらい。それに最近避けられているような気がする。
どうして?私はせめて、前のようにお話しするだけでいいのに。
あるよく晴れた日の朝、私は意を決して兵舎へと向かった。
最近エイトは兵士見習いとしてそこに移った。今までのように厨房の仕事も手伝ったりしてはいるけれど。
エイトは兵舎の隅で本を読んでいた。以前の私のようにできるだけさりげなくしているつもりで近付いて話し掛けた。
「あのね、お願いがあるの。谷に近い木立の中で木いちごが赤くなっているんですって。ミーティアは摘みに行きたいのだけれど、一人でお城を離れてはいけないって言われているの。だから一緒に来てもらえないかしら?」
なるべく不自然にならないようにしたつもりだったけれど、こんなに動悸していては息も乱れてしまいそう。今の私、何か変な調子ではなかった?
「…はい」
エイトは渋々、といった感じで頷いた。よく考えたら今日はひさしぶりのお休みだったはず。なのに私のせいで休みがなくなってしまって、そのせいかしら。
「では、上着を取ってきますので」


ぎこちないまま連れ立って城門を出て、谷の方─トラペッタの方─へ向かった。谷に程近い木立の中で、木いちごは真っ赤に熟れていた。
「まあ、なんてたくさんあるのでしょう。きっとおいしい木いちごのソースができると思うわ」
嬉しくなって思わず手をたたく。きっとお父様も喜んでくださるはず。エイトとも、始めはぎこちなかったけれど徐々に昔のように会話が弾み出した。もう前のように「ミーティア」とは呼んでくれなかったけれど…
暖かい陽射しの中、私たちは夢中で木いちごを摘む。けれどもいつしか日は陰っていた。
さわ、と冷たい風が私の頬を撫でたと思ったら、谷底から霧が湧き上がり始める。はっと気付いた時にはもう私たちは濃い霧の中に包まれてしまっていた。
「エイト、どこにいるの?」
すぐ側にいたはずのエイトの姿さえ見えない。不安になって呼びかける。
「ここにいます、姫様」
霧の中から手が差し出される。
「離れないようになさってください。迷ってしまったら大変です」
よかった、エイトの手よね。…エイトの手…握っていいかしら?触れても、いい?
「失礼いたします。どうぞこちらへ」
ためらっていたらその手が伸びてきて掴まれた。しっかりとした、温かい手。一生懸命働いて、武芸の稽古で肉刺(まめ)ができている、懐かしい手。このままずっと手を繋いでいたい…
霧の向こうにぼんやりとエイトの芥子色(からしいろ)の上着が透けて見えた。
「確かこの先に岩が突き出していて雨を防げるような場所があったので…」
はっきりとは見えなくてもその手と声に導かれ私は走る。


二人で岩棚の陰に駆け込んだ。
「この霧では動かない方がいいですね」
「ええ」
帰りたくても帰れない。霧の中、道に迷ったり崖から落ちてしまう人もいるって聞いたことがある。できるだけ動かないで霧が晴れるのを待つしかない。
だけどお願い、晴れないで。このまましばらくエイトと一緒にいたいから。


岩棚の陰にいるしこれで大丈夫、と思っていたのだけれどそれは甘かった。霧は容赦なく横らも入ってきて私たちを包む。エイトと一緒に外に出るから、と思って着てきた新しいドレスはあっという間に濡れて冷たくなってしまった。
「くっしゅん」
…我慢していたのに。どうして出てしまったの。
「あっ、気付かないで申し訳ございません」
エイトが慌てて何か探り始めた。かちゃかちゃと音がして一瞬何かためらった後、私の背中に温かいものが掛けられる。
「火を起こす道具を持ってきていなかったので…失礼かとは思いますが僕の上着で辛抱していただけますか」
「ありがとう」
上着を羽織ると残っていたエイトの温もりが身に優しかった。
「…温かい」
そうつぶやくとエイトはさっと頬を赤らめた。
「ごめんなさい、重くてごわごわしていてお嫌かとは思ったのですが…」
「ううん、そんなことないわ」
…言ってもいいかしら。言ってしまいたい。
「エイトの着ていたものですもの、ミーティアは嫌だなんて思わないわ」
一瞬、視線が絡み合う。その目の中に浮かんだ表情の意味を知りたいと思ったけれど、エイトはうつむいてしまった。
「恐れ入ります」
そう答える語尾が震えていた。はっとしてエイトを見ると唇が蒼ざめている。濡れたシャツ一枚になって寒い思いをしている。私のせいで!
「エイト」
思い切って近付く。つい最近までは何とも思わなかった距離、でも今となっては…
「ごめんなさい。ミーティアのせいで寒い思いをさせてしまって」 そう言って上着を返そうとしたのだけれど、押し止められてしまった。
「いけません、どうぞ着ていてください。僕は大丈夫です」
「でも…」
「本当に大丈夫ですから」
シャツの袖口からのぞく腕は鳥肌がたっている。このままではエイトが風邪をひいてしまう、でもエイトは上着を受け取ってはくれない…
ふと、あることを思い付いた。私は思い切って、
「一緒に入りましょう」
とすぐ隣に立って上着の半分をエイトに掛けた。
「姫様!」
エイトと一緒に入っているおかげでさっきよりもずっと温かい。
「一緒の方が温かいわ。お願い、エイトに寒い思いしてほしくないの」
「…」
背けられたエイトの横顔が複雑な表情を浮かべていた。ごめんなさい、エイト。でもあなたが寒い思いをしているのに自分一人ぬくぬくとしていたくないの。どうかお願い、我慢して。
「…座りませんか。立っているよりはましだと思います」
「ええ」
二人並んで膝を抱えて座った。ああでも自分の心臓の音ってなんてうるさいの。エイトがすぐ隣にいるのに、聞こえてしまいそう。
「寒くない?」
沈黙の重さに堪えかねて言わなくてもいいようなことを口にしてしまった。寒くない訳ないのに。こんな中途半端な着方なんですもの。
「姫様こそ…僕が気を付けていなければならなかったのに寒い思いをさせてしまって申し訳ございません」
「いいの。ミーティアは平気よ」
そう答えながらつい身を震わせてしまった。地面が思っていたよりも冷たくてぞくぞくする。霧はますます深く私たちを包み、濡れたドレスが冷たくて寒い。
「姫様」
「だ、大丈夫よ。心配しないで」
そう答えながらも震えは止まらない。ちょっとの間沈黙があって、何かためらった気配の後、エイトの腕が私の肩に廻され、ぐいと引き寄せられる。勢い余って私はエイトの肩に頭を載せる形になってしまった。
「失礼かとは思うのですが…震えていらっしゃるし寒いよりはこの方がましかと…」
「あ…ありがとう…でも冷たくないかしら?」
「平気です」
そう言った後、やや間があって小さく付け加えられた。
「姫様のためならばいくらでも」


肩を寄せあっているうち、ふと気付いた。私のこめかみにエイトの口の端が触れている?それに気付いてしまったらもうそればかりに意識が行ってしまう。
このまま霧が晴れなければいいのに。ずっと…


けれども無情にも霧を透かして薄日が…









                          



2005.5.25 初出 2007.1.1 改定
 









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