白鳥の姫と金獅子の騎士



トロデーンの街道筋から少し外れたところにその女子修道院はあった。
領地の見回りや慰問も王族の仕事の一つで、今日もその公務の一環だった。さらにこうして各地を巡ることで街道の整備にも役立つ、と聞いている。街道が整備されて人々が安全に行き来できるようになれば巡り巡ってトロデーンが栄えていくのだった。
そういうものだと分かってはいたのだけれど、それでも今回のこの訪問は少し残念だった。何しろ男子禁制の修道院で、エイトと一緒に来る訳にはいかなかったのだから。
けれども、大抵の場合こちらが何も言わないうちから、
「是非ご夫妻でお運びくださいますよう」
と申し出があるのにここはそうではなかった。
「我が修道院は厳しき祈りの場。殿方の来訪は固くお断りしております」
お祖父様の妹君──私にとっては大叔母様に当たる修道院長からの消息にはそう厳しく書かれていて、エイトをがっかりさせてしまった。
「残念だけど、そう言われちゃったら仕方ないね」
ちょっと肩を竦めてみせると、しばらく行ってないから竜神族の里へ一人で出かけることにする、と言う。私ももちろん残念だったし、とっても寂しかったのだけれど、大叔母様の言葉の裏には何かあるのではないかとちょっと気になってしまった。
大叔母様は、トロデーン王家の分家筋に当たる公爵家のご出身の方。それがあってお祖父様は世継ぎであられたお祖母様とご結婚なさったのだけれど、妹君であられる大叔母様はご結婚なさらずに若くして修道院に入られ、今に至っている。そういった事情もあってかなり発言力のある方だった。子供の頃から何度かお目にかかっているけれど、大層厳めしくなさっていて子供心に近付き難い思いをしたことを覚えている。
そのような方が修道院の規則を盾に「来るな」とおっしゃるということは何か、エイトに対していい感情を持っていないのかと思わずにはいられない。実際、今もエイトの育ちについて悪し様に貶す貴族が何人かいることを知っている。どんなにサザンビーク王家の正統な血を引く生まれだ、と言っても、そういった人たちには「元使用人の庶民」としか映らないのだろう。大叔母様もそのように見ていらっしゃるのかもしれない、と思うととても気が重くなった。


修道院につくと、早速院長室に通された。
「大叔母様」
そう呼びかけて腰をかがめてお辞儀し、顔を上げる。身分だけで言えばトロデーン王家直系の私の方が上なのかもしれないけれど、大叔母ということもあっていつも敬意を示すことにしていた。
最初の印象は、「昔と全く変わらない」だった。でも、よくよく見ると年老いた手は震え、椅子車に乗っていらっしゃる。前はお年を召していらっしゃったとは言えてきぱきと自分で歩いていらっしゃったのに。そう思った瞬間、胸が詰まった。
「よくおいでになられた」
けれども声には張りがあり、お元気そうに感じられた。
「ここにおいでになられるのも随分久しぶりじゃの」
「忙しさに取り紛れてしまい、申し訳ございません。大叔母様」
「忙しいのは若者の特権じゃ。それを言い訳にできるのもな」
相変わらずの手厳しいお言葉だったけれど、目元は優しかった。
「せっかくおいでになったのじゃし、少し懐かしい物を見つけての。今日はテラスにお茶を用意させた。
これ」
様々な意匠の指輪の填まった手がテラスを指し示すと、部屋の隅に控えていた侍女たちが進み出て椅子車を動かす。私もそれに従ってテラスに出た。
テラスにはもうお茶の仕度が調っていた。
「まあ」
「そうじゃ。よく覚えておったの」
ずっと昔、子供だった頃にここに来る度に使わせてもらっていた可愛らしい小花柄のティーセットが並んでいる。その中でも一番お気に入りだったものが──
「あら、このスプーン…」
花の細工のついた、この銀の匙だった。
「思い出したかの。そなた、昔ここに来た時に『お城に持って帰る』と駄々をこねたものじゃ」
大叔母様はおかしそうに笑みを浮かべた。
「『ミーティア一人だけ美味しいケーキを食べたから、エイトにお土産持って帰るの』とそれはわがまま言ったものじゃ」
「も、申し訳ございません。何ということを…」
言われてみればそんなわがままを言ったことがあったような気がする。すっかり忘れていた。顔から火が出そうになりながらお詫びすると、大叔母様はすっと笑いを収めた。
「あの時の子供、であろ?」
「お、大叔母様」
いきなり切り込まれて怯んでしまった。その厳しい顔をしたまま大叔母様は続ける。
「確か城で小間使いをしていた、とか」
「…はい」
エイトが小間使いとして使われていた事実は消せない。ずっと私たちのために働いてきたエイトの手は何よりも尊いと思っている。でもきっと、大叔母様もまたエイトの出自についてよく思っていらっしゃらないのね、と萎れた私に、大叔母様は昔の名残を思わせるような艶やかな笑みを見せた。
「そなたに贈り物があるのじゃ。何、大したものではないがの」
「あ、あの…う、嬉しゅうございますわ」
動揺した後に急に話を変えられて、心の中で首を捻りつつも頷く。大叔母様が呼び鈴を鳴らすと、侍女が何か大きな本を持ってきた。
「まあ」
それは、トロデーンの古い昔話の本だった。誰でも知っている白鳥姫と呼ばれるお姫様と金獅子の騎士と呼ばれた王子様が紆余曲折の末に結ばれるという話で、それは美しい挿絵が入っている。城の図書室にも本があった筈。頁を捲りながら挿絵を見ていると、ふとおかしなことに気が付いた。
「あの、大叔母様、この絵…」
「おや、気付いたかの」
物語の王子様は「金獅子の騎士」と呼ばれるだけあって、金髪ということになっている。でもその本の挿絵の中では王子様は黒っぽい髪色をしていた。
「せっかくじゃから、白鳥姫はそなたに、金獅子の騎士はあの者に似せて描かせたのじゃ」
大叔母様は誇らしげにそう仰った。
「本来父君がご存命であられたならあの者こそサザンビークの正統な王位継承者だったのじゃろ?ならばこの話のようなこともあったやも知れぬ。トロデーンを救った恩を忘れてごちゃごちゃ抜かす愚か者にはこれを見せてちょっと思い知らせてやればよい。
つまらぬ物じゃが、妾からの結婚の祝いじゃ」
「大叔母様…」
一瞬、言葉に詰まった。もしかしたらエイトやエイトを選んだ私にいい感情をお持ちではないのではないかと勘ぐっていただけに。
でもそれは本当に一瞬のことで、後は心の底からお礼の言葉が溢れてきた。
「ありがとうございますわ、大叔母様。一生大切にいたします。城に戻ったらエイトにも見せていいでしょうか」
「見せてやるがよい」
大叔母様は鷹揚に頷いた後、扇子を広げるとその蔭で小声で付け加えた。
「どんな顔をしたか、後で妾に詳しく教えるのじゃぞ」
そう言えば近寄り難い厳めしさをお持ちでありながら、実際はかなり洒落や諧謔に理解を示される方だった。これも今まですっかり忘れていたこと。
私もにっこりと微笑み、大叔母様に倣って扇の陰で言葉を返す。
「はい。喜んでお話しいたしますわ。それはもう、こと細かに」


                                          (終)



2008.7.11 初出 2008.10.3 改定




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