7.偽れぬ想い



サザンビークからの届け物が来たのはつい先日のことだった。


政略結婚とは言え婚約しているのだから、ということで定期的にあちらからなにかしらの贈り物と手紙が届く。それに対してこちらからもなにかしらの返礼と手紙を送る。
とは言っても私はその手紙を書いたことはないし、あちらも多分そうなのではないか、と思う。だって、明らかに字が大人の──それもかなり年配の男の方のようだった──ものだったから。やや古めかしく、堅苦しい感じのする字から、白髪の学問一筋できた学者であちらの先生をしていらっしゃる方なのかしら、と思っていた。こちらにしても、お作法の先生が書いてくださっているのだからあまり言うべきことではないとは思っているのだけれど。
「返事のようなことは私どもにお任せくださいませ。姫様は勉学とご公務に励まれますよう」
そう言われて、とても気が進まないのをいいことにいつも先生にお任せして最後の確認とサインだけをしている。
自分で書かなければ、とは思う。このような時に使う文例も決まり文句も心得ている。でも、贈り物や手紙に喜んでいる風を見せ、お慕いする気持ちを示すことがどうしてもできなかった。このままではいけない、次こそは、と思うのだけれども何かしらそれを難しくさせることが必ず起こるのだった。
一番ひどい、と思ったのは今年の新年に贈られてきた首飾りだった。それは見事な虎目石の細工だったのだけれど、どう見ても男性用のマント留めを首飾りに作り直したものとしか思えなかった。
それ以上に気に障ったのは一緒に付いていた手紙に、
「我が国一の職人に命じて誂えたものです。このような技術はそちらにはないでしょう。我が国ならこのようなものもいくらでも手に入ります。姫君はかくも豊かな王国の女主におなりになることをお喜び遊ばせ」
とあったことだった。
サザンビークのような南国の恵まれた国の方からすればトロデーンなど北国の貧しい国にしか見えないのかもしれない。けれどもここで生まれ育った私には、この上なく大切な場所だった。優しい人々がたくさんいて、美しい風景に囲まれて。そういったことなど気にも留めず、ただ金銀が取れるとかよい大地の恵みが享受できるといったことだけが大切な方々のように思えてならない。この文章を書かれた方もきっと、そう思っていて、そしてそれに眼を通した方もそう思っていて、なんの疑問もなくそのままこちらに文を下したのだろう。
そのこちらが何を感じるかなど気にも留めない、見下すような物言いがとても悲しかった。
それでもお礼だけは書いてもらい──代筆してくださった先生もその手紙に思うところがあったのかとても素っ気ない文章だった──先方に返礼すると、この首飾りの扱いに困ってしまった。手元に置いておけばそれが思い出させることでいつも不快になってしまうし、かといってただ処分する訳にもいかない。誰かに下げ渡すことも考えたのだけれども、それも何だかとても気がひけて結局はどこか眼につかない場所にしまいこんでしまったのだった。


でも本当は分かっているの。サザンビークからの贈り物がどれも気に入らない理由。
そんな立派な宝石よりずっと、エイトからもらった野に咲く花の方がずっとずっと嬉しいの。
春を知らせるために、私が風邪で外に出られない時のために、忙しくて散歩もできないような時に、摘んできてくれた小さな花たち。何という名前なのかって一緒に植物の本を見たりしたのだったっけ。もう随分前のことになるのだけれど。
懐かしくて、涙が出そうになる。もうあの頃は戻ってこない。一緒に遊んだ子供の時は終わってしまったの。花の指輪で約束したことなんて、きっと忘れてしまったでしょうね。そして私も、その約束を叶えることができないなんて、思ってもみなかった。


それでも信じていたいの。花は萎れて枯れてしまうけれど、大切な思い出が枯れることはない、と…


                                          (終)



2008.7.11 初出 2008.10.24 改定




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