帰るべき場所



トロデーンとトラペッタを結ぶ吊り橋を架け直す工事は、順調に進んでいた。
崖は深く、難工事なんだけど、ここが不通では不便極まりない。呪文一つで行き来できる人ならともかく、そうでなければリーザスからポルトリンク、荒野を抜けて大回りしなければならない。時間も、そして旅人の安全も考えれば一刻も早く開通させなければならなかった。
急がなければならないのはもちろん、手抜き工事で橋が落ちては堪ったものではない。そこでこうして僕が時々現場に行って状況を確認する務めを請け負っていた。
両岸にはもう、綱が渡されてあった。この綱は仮のもので、これから実際に使うもっと太い綱を渡すのだという。崖の上から覗き込むと、犬鷲が一羽、遥か下をゆったりと飛んでいた。思えばこの下をあの船で通ったんだった。それを思うとこの谷の深さと大きさに竦むような気がする。
「この綱が渡ればもうこっちのもんでさ。ご成婚までには完成しますぜ」
何度も通ううちに顔見知りになった親方が僕の後ろから楽しげに声を掛けてきて、一瞬息が詰まった。
「…そうか」
短くそう答えるのが精一杯で、振り返ることはできずただ鷲の飛ぶ姿を見続けていた。
あの方は、ミーティアはもうすぐトロデーンを去ってしまう。それは考えまいとしていた事実だった。考えたら負けだと自分に言い聞かせたくさんの仕事を自分に割り振った。この仕事だって本当は工兵班が担当するようなことだ。ほんの一時でいいから城から離れたくて。なのに、ふとした折にこうして事実を突きつけられる。まるで、「忘れてはならない、目を逸らしてはいけない」とでも言うかのように。
「…姫様もきっと、お喜びになるでしょう」
漸く振り返って親方にそう言った自分の声は、自分のものでないように聞こえた。
「ありがとうごぜえやす」
深く頭を下げる彼の姿が、不意にヤンガスを思い出させた。彼なら今の僕を見て何と言うだろう。
『細けえことは抜きにしましょうや、兄貴!』
『何の問題もねえでがすよ、兄貴!』
何だか声が聞こえたような気がして、ふっと自嘲めいた笑いが洩れた。今は仕事するんだ。そう決めたのは自分だろう。
「よろしく頼みます。人夫たちに危ないことのないように」


打ち合わせもあっさり終わってしまい、そこにいる理由もなくなって仕方なく帰路についた。
現場から城へ帰るのは気が重かった。
どうしてあの方がもうすぐいなくなってしまう場所に帰れるだろう。あの場所、この場所、トロデーンはミーティアとの思い出でいっぱいだった。絞め上げられるような想いはもう、たくさんだった。
(エイト)
きっと顔を上げれば城門に立っているあの方の姿が、声が聞こえる。本当はそこに姿はなくとも僕にはそれが見えるし、聞こえる。
(ミーティア)
心の中で、僕もまたあの方の名を呼ぶ。呼んでしまうともう止められなかった。慕わしく、そしてどこか懐かしいその名前。そして、僕から永久に去ってしまうその方の名前。
(ミーティア)
どうして一時でも離れたいなどと思ったのだろう、自分の意思で留まることを決意した場所なのに。帰ろう、あの場所へ。トロデーンへ。
僕の帰るべき場所は、トロデーン。ミーティアの故郷でもあるあの城。
あの方が去ってしまうその日までの短い時間を無駄にすまい。後、ほんの数週しかないのだから──


                                          (終)



2008.6.23 初出 2008.10.13 改定




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